しんどいは不幸や
今朝の子供の発言である,子供は喘息だった.それほどの発作ではないし,咳もひどくない.
ただ,しんどそうではある.数分だけ子供の背中をさすってあげた.学校を休むほどではないが,学校に行きそして帰るという事がしんどいであろう事は予想される.なぜなら自分が喘息で,自分が小学校低学年の頃と同じ町に住み,同じ小学校に行っているから.発作が出ても学校に行く,もちろん帰る.歩いてである.自分の経験では,途中で休む.道ばたで休む.遅刻しても良い.子供は自分の子供の時ほどひどくない.たぶん大丈夫であろう.
家を出るときはいつも一緒.子供が学校に行く時と俺が会社に行く時は同時.今日は自転車で連れて行こうと少し思ったが,本人に断られた経験があるので口に出さなかった.
玄関で突然,タイトルの”お父さん.しんどいって不幸やな”.あまり突然だったので何と答えたかおぼえていないが,たぶん否定したんじゃないかな.軽く否定したと思う.
でも,会社に来てから名言だと思った.とても簡単な言葉である.”しんどい”は”幸せ”か”不幸せ”か.もちろん”不幸せ”である.
俺が小学校3年生の時に自分が不幸だと思っていたと思う.それは自分だけが喘息だったから.しんどいは死ぬに近いと思ったから.という理由じゃないかな.俺は自分の親に自分が不幸だとうったえていないと思う.そのような親ではなかった.父親も母親も.俺の子供は俺が喘息であるために喘息になっている.だから子供は俺に話している.その時に俺は不幸であると言ってはいけなかったであろう.自分を可哀想と思うという事は避けねばならない.喘息以外は他の子と一緒.喘息が治れば全く他の子と一緒である.
正論ではない.しんどいんだもん.辛いんだもん.では不幸である.でも不幸を背負って生きていくわけにはいかないし,それを小さい時から分からせてはいけない.
彼は既に知っているかも知れない.何をか.それが分かれば俺は”うつ”ではない.
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