「尊厳死について」。あなたは尊厳死と延命治療について、どのように考えますか?
今年の3月、富山県の射水市民病院で患者の人口呼吸器を外していたことがわかり、尊厳死の問題が改めてクローズアップされました。どのように死を迎えるか。これは誰もが例外なく関係している問題です。
自分としては,延命治療は拒否する.外してくれたら嬉しいと思うな.
尊厳死のほかに「安楽死」という言葉があります。安楽死は、意味のない延命治療を止め自然な死を迎えるようにする「消極的安楽死」と、投薬などで死に至らせる「積極的安楽死」の2つに分かれます。尊厳死は消極的安楽死のひとつと考えられます。
延命治療を拒否すると消極的な安楽死なのか.それが尊厳死なのか.そいつは暴論ではないか.俺は考えられないね.
思うんだけど,医者は治る気の無い患者は嫌いだって.嫌だって.
死にたくないと生きたいを思っている人を手助けするんだって.苦しみから救うというのもあるだろうけど.今回は別.
アル症の医者は,身体と精神と両方を診るそうな.まず身体が先だけど,アルコールに走るとか逃げるとか,そういう精神面のケアが必要だって.断酒会とかあるでしょ.お酒を飲むと死ぬかも知れない薬もある.でもワーカーは断酒しているアル症だった.俺は人に迷惑をかける方なので,家で飲む.年に1回くらいアルコールで失敗をしている.の医者が言うにアル症の専門医には誰もがなりたがらないらしい.アル症は治らないんだよ.ただ飲まないを続けるんだ.だから治らない.治っても再発が多いから治療の甲斐がないとか.
本題に戻らないと.医者は殺すとか.死をすすめるとかできないはず.”医”から反するから.だから延命治療に積極的だろう.もしかしたら治るかも知れないと思う医者側と家族側が存在するから.お金の問題もある.もしかするとこれが一番大事かも.
で,尊厳死を認めると自殺補助みたいなことになるから,認められないね.死にたい行為を繰り返す人は,入院させられるぞ.なんだか分からない薬で見た目が本人でも死にたい本人ではなくなるぞ.違う人として生きることになるぞ.家族が望むからか.
治らない病気であるとどこで認める.延命治療はどこから.問題は山積みだぜ.
だから,尊厳死は病院じゃ駄目だよ.医者が行っては駄目だよ.
家か.お寺とか教会とか.行うのも家族だよ.
たぶん.本人の希望は,生きられるものなら生きたいだろう.苦しみは嫌だもの.俺は喘息の時に発作の時に死んでも良いと思ったよ.でも死ななかったので,今生きている.
病気を苦に自殺の人の気持ちも分かるよ.先に死ねない親も見た.彼らに尊厳死の権利を与えてあげたい.選ばせてあげたい.
おー.記事が長くなった.もう止めよう.おわり.
はじめまして。ブログへお越し頂きありがとうございました。
長い歴史の中で、安楽死(つまり生命維持装置)という方法が発明されたのは、このほんのわずか数十年間のことです。医療技術が発達して初めて可能になった「道具」ですね。
そこで「尊厳死」という選択肢を選べることに、人々は気づきました。
HAWK2700さんが書かれているように、倫理が深く関わる問題ですね。長い歴史に比べ、あまりに議論の時間が短いと思います。
落としどころを見つけるためにはまだまだ長い議論が必要だと思います。
現時点での情報で判断する限りでは、ぼくは延命治療は反対です。
コメントサンキ.
プログネタからトッラクバックしてきたもので,面白い内容ではないと思っていましたが,コメントがあってびっくりしました.
こういう記事にコメントがあるとうれしいです.
投稿: Yasushi | 2006/06/04 13:04