死ぬという思い
日曜日の記事で,しばらく頭から離れなかったテーマで記事を書いた.
最初は彼の記事にコメントを残し,彼のコメントを読んだ.
トラックバックをして,彼の記事を読みながら,自分も記事を書いた.なんだか,うまく書けないなぁと思いながら,保存をした.今となれば,一度下書きにすれば良かったと思ったが,すぐにコメントがあり,彼の誠意のような物を感じた.
後に,違うプログで命がテーマの記事を見つけた.
俺が一番最初に死のうと思ったのは,たぶん.今の俺の子供の頃ではないかと思い出した.以前に思い出しているので,間違いないと思う.
その小学生の俺は,アダルトチルドレンだったかも知れない.インナーチャイルドかも知れない.
理由は,母親からの虐待だが,どの程度であったかまでは憶えていない.どの程度虐待されたのだろう.妹は自分の子供の頃を憶えていないので,子育てに苦労すると言う.理解できる.
この頃の俺はクリスチャンだったはず.母親は試練でそれに耐えられなかったのだろうな.
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こんばんわ。私も思春期のころよく自殺しようと思いました。母親が自分が6歳の時に脳出血で亡くなりました。父親がわたしが10歳のころ再婚しました。おやじは厳格でした。再婚した母親も非常に厳格で顔や体に殴られたあざが結構残る日々でした。その時は生きている意味それが自分では見つけられませんでした。マンションの7Fにすんでいたのですが柵を乗り越えて靴をよく並べました。
いまブログに書き込んでいるのはある意味負け犬でしょうね。生きているのですから。精神患いながらですが・・・。
コメントサンキ.
精神患いながら,呼吸器患いながら,生きているのは俺も同じです.負け犬とは思っていないけれど,負け犬ではないとは言えないかぁ.
俺は,近所のマンションの屋上で,ここから飛び降りたら死ぬかなぁ.と思ったのでした.何度も.
もう少し高いところかな。とか,この世からいなくなることの方が楽だと思っていた頃でしょう.
俺は,10歳から療養所に入りましたので,虐待は受けませんでしたが,その後の妹はどうだったのだろう.
投稿: たかでん | 2006/06/15 00:32
子供の頃かあ。
わいの母さんもクリスチャン。
ぶっちゃけた人だけど厳しくは育てられたかなあ。
わいひとりっこなんやけど、子供の頃からそうは見られなかった。
教育のせいかなあ。
死について考えたのは病気になってから。
この数年だね。
毎日が闘いだわ。
姉さん.いつもコメントサンキ.
そうなのか.アダルトチルドレンだと生きている間は共依存で生きているという存在.そういうのが満たされるものなぁ.
親の満足でいる自分で,自分が満足というような感じだな.
でも,姉さん死なないでくれよ.
投稿: こなつ姉さん | 2006/06/15 08:50