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2006/06/11

RE: 生きるという「仕事」

彼のプログを読んで以来,この事が頭を離れない.彼が正しいのは間違いない.

 多分、うつ病にでもなってみないと分からないだろう。自分が無意識のうちにどれだけ努力をして、耐えているのか、を。
 その大変な「生きる」ということを、ぼくらはしている。
 ぼくらは生きている。

実は、生きるということは、努力と忍耐をしなければできないし、勇気が必要だ。
 それは一つの「仕事」だと思う。

生きるという「仕事」があまりに辛くて、死にたくなることがある。ぼく自身もあったし、死のうとする人を見たことが何度もある。
 死ぬのは生きるのと同じくらい勇気がいる。だけど、あまりの辛さに、勇気を振り絞って死ぬんだ。

http://ohyama.way-nifty.com/yasushi/

生きるという事は仕事か?

これがピンとこない.この状態を俺は超えているのも分からない.うつ病であるから,死を選ぶという行為も理解できるのに,生きるというのは仕事なのだろうか.

生き続けているというのは,健康な人には理解出来ない部分がある.うつの人が生き続けるという行為は選んだ行為であると思う.それは,イバラの道を選んだことでもある.だって俺もその病気だもの.でも死を選ぶのは楽過ぎる.それは楽という表現では無いかも知れないが,周囲の人がいる限りその道を選ぶよ.”死”は選択肢にある.でも選ばない.という人が圧倒的だろう.

俺はいつも思う.死を選ばないということが,一番大事な前提である.生きるということがどんなに辛いか.死を選ぶという事も大きな勇気がいる.でも彼が言う生きるという根拠が大切.

生きるということが大切.

なら生きるなら,自分が生きるためには何が必要で何が大事か.この部分で俺と彼との意見は違う.

周囲はうつに対したの理解が違うという事は同じように思うのに,彼は生きるという事の選択が大きな判断だというように思う.俺は生きるという事は続けることが大事だと思う,

生き続ける事に障害はある.その部分は彼も俺も同じだろう.死を選んだ人を見たということ.それも同じだろう.でも死は選択肢に無いという生き方.彼が言うようにそれは大きな仕事かもしれないのに,俺は前提だと思う.

差が有るという事.彼と俺の違いは背負う差なのかな.

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コメント

「生きるという仕事」
生きる事が努力無しで出来なくなった時、頭に浮かぶのでしょう。

”生死を彷徨う””死を自覚する”
そういう 機会があった時、人は 生きて行く事を希望します。
その時に努力します。


コメントサンキュ.

うつ病は違うんだぜ.

俺は喘息だから発作の苦しみに耐えれないので死を選ぼうと思うことがあったが,友人が同じ病気で死んだので,その分を生きていこうと思うのだが,
うつ病は,結構大変.死んだ方が楽かなと思う.
どんなもんなんだろう.また考えます.
コメントありがとう.

こんにちは。TBをありがとうございました。

 60億人も人間がいるのですから、生きることや死ぬことに、ひとつの理解や解釈があるはずがありません。人の数だけ種類のあることでしょう。
 それぞれ60億分の一である、ぼくとローリングAさんが意見を異にするのは、むしろ当然のことと思います。

 仕事というのは、労力を提供して、対価として給料という報酬をもらう行為ですよね。
 仕事自体は易しいのに、結構たくさん給料がもらえて喜んでいる人がいますし、頑張ってるのに薄給で不満の人もいます。
 給料なんてどうでもいいから、今の仕事を早く辞めたいと思っている人もいます。(ぼくの知っている人ではこれが意外と多いです)

 生きるということも、同じことだとぼくは考えるのです。

 では、生きることが仕事なら、報酬は何?という話になりますが、ぼくは、ひとつは経験、そしてもうひとつは自分と他人の中に残る思い出だと思っています。生きるという大変辛く勇気のいる作業をする対価として、人はそんな報酬を得ているのです。
 辛いけど何とか一週間乗り切ったとき、自分の中には一週間分の経験と思い出が残ります。周囲の人には、自分がその人に対して何かした、影響を与えた、という思い出が残ります。これらが、生きるという仕事の報酬だと思うのです。
 報酬が多くて、生きることが楽しい人もいるでしょう。
 報酬が少なくて、生きることに失望する人もいるでしょう。
 報酬などどうでもいいから、生きるという仕事が辛すぎて、これを辞めたい――つまり、死にたい人もいるでしょう。うつ病の人は、まさにこれでしょう。

 もちろん同意を求めたりするつもりはありません。ぼくはそう考えるというだけです。内容を理解していただけたでしょうか?

 現実世界では失業してもまた次の仕事を探せますが、生きるという仕事だけは、辞めたら「死」ですから、もう二度と他の道を選ぶことはできません。辞めるその瞬間も、苦痛を伴うため、大きな恐怖があります。それでもなお、辞める人がいる。それだけ生きるという仕事の辛さが大きいということなのだと思います。
 亡くなった人には、よくぞ、そのギリギリの決断をしたね、苦しかったろうね、と言葉をかけてあげたいと思います。

コメントサンキュ.
うん.それ以上は書けないよ.
内容を理解できたと思う.わざわざすまない.
また,このテーマが頭から離れなくなった.
また,書いてもいいかな.

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