作業標準と楽譜について
会社の朝礼で作業標準と楽譜に対して話したことがあり面白いと言われたのでここにも書いておこうと思う.これはニフの品質管理フォーラムで俺も参加したからだ.
工場でもそうだが,どんな産業でも会社や組織ならマニュアルはあるだろう.目的はみんなが同じ成果を出せるようにしたものだろう.音楽でもそうで楽譜があって曲が再現される.楽譜のように再現できる.音楽の中でもクラッシックとか大勢になるほど楽譜の再現は難しいし,観客の満足度も上がりにくいだろう.ただレコードやCDといった作業標準がある.音楽教室なら先生が見本を見せて楽譜の解釈を教えることになる.クラッシックの指揮者もそうだね.
ロックなら民族音楽のブルース発生だからレコードとテープやCDだから歴史を比較的に網羅しているのだけれど,クラッシックは西洋の民族音楽から発生しているのと,ピアノのようなオクターブ12分割で分かりやすくできているでも数百年前だから当時のものが分からない.もちろん指揮者と弟子,当時の観客聴衆が同等の曲を維持したがっているだろうがやはりトレンドもあって再現は難しいと思う.現在は録音されたものがあるから限度見本になったり,お手本だったり目標だったりするよね.
工場でもそうだ.同じやり方なら同じ物が出来るはずなのだけれど,完全には出来ない.職人と組織人との差はある.この差を埋める事が出来ると良い工場だけれど,世の中はこの差を無くす努力をしている工場が多いだろう.機械に頼るのもあるがプログラムや環境など設定や調整が必要だ.作業標準があり限度見本や目的の形等がある.作業標準を書く人が工場に慣れた人かそうでないかという考え方もあるし.作業標準にはゴールが無いという考え方もある.楽譜にマーキングされるのと同じ考えだろうか.指揮者の解釈の仕方と奏者の解釈の仕方の差などが有るからだろうか?
まー.どちらも目的は似たようなものだ.音楽も聴衆者という顧客があり,工場も製品を評価する顧客がいる.顧客満足という考えでは同じだ.
ところで,職人の世界もある.音楽も一人で作詞作曲演奏歌まで出来る.工芸品もそういうところがある.似ているでしょ.
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